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ユートピア
湊かなえ

   『FLOWER』8月号(英新社)
    [SICAの憧れる人]第6回

 車いす利用者に快適な町づくりを。
 そんな願いを込めて立ち上げられたブランド「クララの翼」。天使の翼をモチーフにした素焼きのストラップは、当初は車いす利用者やその家族、福祉に携わる人たちのあいだで話題となっていましたが、デザイン性の高さから、二、三〇代の女性を中心に口コミで話題となり、現在は商品が届くまで一カ月待ちとなる人気グッズになりました。
 すべての人に社会へ飛びたてる大きな翼を。
 今ではその理念のもと活動を続けている、「クララの翼」の創設メンバー、堂場菜々子さん、星川すみれさん、相場光稀さんに本日はお話を伺いたいと思います。

SICA まずは、皆さんの出会いについて教えてください──。

       *

 太平洋を望む人口約七千人の港町、鼻崎町。近隣の大きな市に吸収合併されることなく、町として独立できているのは、戦後、国民の食卓を支え続けてきた日本有数の食品加工会社、八海水産、通称ハッスイの国内最大工場を有するためである。
 堂場菜々子は小学校の社会の授業でそう習った。
 町の玄関口となる国鉄鼻崎駅前から、鼻崎岬へと続く海岸沿いの県道までを結ぶ〈鼻崎ユートピア商店街〉に、全盛期には一日約一万人が訪れていた。
 それが、商店街で仏具店を営んできた堂場重雄、菜々子の義父の口癖だった。商店街からは少し離れているが、同じ鼻崎町で生まれ育った菜々子には、これまでの人生をすべてひっくりかえしてみても、それほどまでに町が賑わっていたという記憶はない。自分が生まれる前のことであっても、人口より多い数の人たちがこの町を訪れる様子を想像することは難しかった。たいした観光名所もないこの町に、何の目的で訪れるというのだろう、と。
 義父の言葉はいつも愛想笑いで受け流していた。しかし、三カ月前、同じ台詞を商店街会長から聞き、ええっ、と思わず声を発したあとで、チクリと罪悪感に苛まれた。記憶があやふやになってゼロを一つ二つ盛っていたのではなかったのだ。
 年に一度の商店街祭りに三波春夫が来てくれたこともある、と呂律の回らぬ口調で言い終える前に、それはよかったですね、と布団をかぶせたのが、生きている義父と接した最後になる。あれからもう三年。三波春夫もよく似た名前のものまね芸人かなにかだったのだろうと受け流していたが、もしかすると、本物だったのかもしれない。
 八年前の結婚当初から、義父はまだ寝たきりではなかったものの、認知能力はかなり曖昧になっていた。それが解っていても、嫁ではなく店の従業員扱いしかされていないことに腹が立ち、ならばそう接してやろうと、無駄話には極力耳を傾けないようにしていたのだが……。一度くらい、頭の中にきらきらとした結晶として残っている話に、じっくり耳を傾けてあげてもよかったのではないか。義父から辛辣な言葉を受けたことなど一度もなかった。戦前からこの地に店を構える老舗仏具店の主らしく、お茶を飲ませるといったささいな世話を受けただけで、ありがとうございますと、寝たきりではあるが、深々とおじぎをせんばかりの口調で言ってくれていたではないか……。
 集会の最中に紺地に白い水玉の湯呑を眺めながらぼんやりとそんなことを考えていたせいで、議題も把握していないまま、ブロック会長の乾物店の主人に名前を呼ばれて生返事をしてしまい、とんでもない役を引き受けることになってしまったのだ。
『第一回花咲き祭りatユートピア商店街』
 菜々子は印刷屋から届けられたばかりの茶色い包み紙を開き、光沢のある紙の端で指を切らないよう用心しながら、極彩色の花が入り乱れた、インクの香りが漂ってきそうなポスターを一枚取り上げた。これを責任をもって配ったり貼ったりしなければならない。
 一五年ぶり、二一世紀に入って初となる商店街祭りの実行委員の一人なのだから。
 商店街は一丁目から五丁目の、五ブロックに分けられている。古くからの店が密集する一丁目だけの定例会だったのだから、菜々子がそんな手間のかかる役を受けられる状態ではないことくらい、誰もが理解してくれていると思っていた。
 一度は、はい、と答えてしまったが、菜々子はジャケットのポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭いながら意を決して立ち上がった。
 ──あ、あの、我が家は、皆さんもご存じの状態でして、大役を受けてしまっては、かえってご迷惑をおかけすることになるんじゃないかと……。
 七歳になったばかりの菜々子の一人娘、久美香は昨年、幼稚園の集団登園中に交通事故に遭った。幸い、一命は取り留めたものの、自力で立ち上がることが事故から一年経った今なおできず、車いすでの生活を余儀なくされている。
 ──今日は月に一度の定例会なので、主人が早めに帰宅して娘をみてくれていますが、集会の回数が増えると、そういうことも難しくなると思います。
 菜々子の夫、堂場修一は八海水産に勤務している。冷凍食品第四班の班長をしているため、早退することは難しい。それでなくとも、学校行事の際などはなるべく休めるよう、職場の人たちから気を遣ってもらっているのだ。
 ──久美香ちゃんも連れていったらいいんじゃないかしら。
 会計を務める和菓子屋〈はなさき〉の奥さんが言った。
 ──わたしも子どもたちが小さな頃はお祭りの準備に子連れで参加したものよ。一緒にくじびきの景品のお菓子を袋詰めしたり、出店の看板を子どもたちに書かせたり。大人より子どもたちの方が張り切っていたくらい。久美香ちゃんもきっと楽しめると思うわ。ほら、火の用心も頑張ってたじゃない。
 年末の夜回り当番のことだ。〈鼻崎ユートピア商店街〉では一二月一日からの一〇日間、午後九時頃から、「火の用心」と声を上げながら拍子木を打ち、商店街の端から端まで歩くという習慣が続いている。一年ずつブロックごとの持ち回り制となっており、一丁目では一日一店舗担当と決まっているため、五年に一度のことではあるが、昨年末、カレンダーの当番日に印を入れた途端に憂欝になった。
 ハッスイは一年で一番忙しい時期だ。修一も残業しなければならない日が増える。襟に「火の用心」と白字で入った色あせた紺色の法被を着て、シャッターの下りた真っ暗な商店街を、一人とぼとぼと歩く想像をするだけで胃が痛くなってくるようだった。
 こんな田舎町、まっぴらだ。父親が再婚した中学二年生の頃にはこの思いが芽生えていた。なのに、短大進学で一度は外に出たにもかかわらず、この町に戻り、その上、さらに古いしきたりの残るところに住む人と結婚してしまった。戻ってくればいいじゃん。たまたま成人式で再会した、高校時代に一度も口を利いたことがない同級生の、無邪気な物言いと笑顔にほだされて。
 あれは自分にだけ向けられたものではなかったのに。
 そんな思いに捉われるたび、菜々子はかぎ針を手にして、一心不乱に花のモチーフを編み続けた。虚しさや怒りを花に変えれば少しは気が紛れると、編み物を教えてくれたのは義母、道子だったが、当の本人はその怨念が込められたストールを巻いて、寝たきりの夫を見捨て、五年前に行方をくらました。自分もいつか出て行ってやるのだ、と数えきれないほどの空想はしてみても現実にならないことは解っている。
 わたしがいなければ久美香はどうなるのだ。
 しかし、久美香の存在は決して、足枷ではない。
 ──ひのようじん、くみかもやりたいなあ。
 朝食の際、ダイニングテーブルの上に夜回り当番セットの箱を見つけた久美香は、拍子木を打ち鳴らしながら言った。
 ──寒いし暗いし、怖くなって帰りたくなっちゃうわよ。
 菜々子は母娘二人で暗い通りを歩く姿を思い描いた。拍子木の音よりも、車いすのきしむ音が冷たい夜気に虚しく響き渡る、寒々とした光景を。
 ──ううん、おもしろいよ。えりせんせいにおしえてあげたいなあ。みんなも、すごいねっていってくれるだろうなあ。
 拍子木の音は、子どもの耳には周囲に自慢できるものとして響いていたのかと、菜々子は娘の顔を改めて見直した。目をきらきらと輝かせている。じゃあ、と言おうとしたところで、修一が頭を掻きながら起きてきた。
 ──じゃあ、パパも今日は早く帰ってくるとするか。五年に一度の楽しい当番なのに、仲間外れにされちゃたまらないからな。
 前夜、残業で遅く帰宅した修一が夕飯を食べているときから、当番セットはテーブルに置いてあった。そのときには気付いているにもかかわらず、視界に入っていないかのように振る舞っていたのに。
 ──ほんと? でも、かちかちするのはくみかだからね。
 父と娘はテーブル越しに笑顔で指切りをかわした。以前は、残業が入ったからと、約束が反故になることが多々あったが、久美香の事故以降は一度もなかった。
 三人で歩いた商店街は菜々子の思っていた雰囲気とはまるで違うものだった。法被は修一のサイズにピッタリで、みすぼらしさはまったく感じられず、火の用心、と言う久美香の声は歯抜けになった商店街のアーケード天井を突き抜けて、星空に届かんばかりの元気のいいものだった。事故以来、久美香のあんな大きな声を聞くのは初めてだった。
 寂れた印象の強い海岸側の五丁目には新しいカフェや雑貨店がオープンしていた。
 ──そういや、パートの人たちが焼きカレーを食べたとか言ってたな。今流行りのパンケーキも食えるんだってさ。
 修一が言い、その週末の昼には早速三人で〈はなカフェ〉なる店を訪れもした。
 それらの時間を持てたのは、商店街の古い慣習のおかげではあるが……。
 ──やっぱり、祭りの実行委員というのはわたしにはちょっと。前にお祭りをやっていた頃の経験をお持ちの人の方がいいんじゃないでしょうか。
 もう一度、汗を拭った。薄いピンクのハンカチにファンデーションがべっとりとついていたが、そんなことを気にしている場合ではない。自分のような若輩者が引き受けなくとも、この集会所にいる大半の人たちは三波春夫が来てくれた頃からこの商店街で暮らしているはずなのだから、祭りの準備など手慣れたものではないのか。
 ──それがね、今度のお祭りはわたしたちが思うのと、ちょっと違うのよ。
 和菓子屋の奥さんが眉を顰めながら言った。従来の商店街祭りを復活させるのではなく、〈鼻崎ユートピア商店街〉に若い人たちを呼び込もうと、昨年、五丁目に店を新規オープンさせた人たちが提案した、新しいイベントなのだ、と。
 ──だからね、一丁目からも若い人を出した方がいいんじゃないかと思うの。わたしたち年寄りにはアートとか、よくわかんないから。お願い、ね。
 両手を合わせて頭を下げられたら断ることはできなかった。
 ──貧乏くじ引かされるくらいなら、俺が集会に行けばよかったな。
 修一に報告すると、自分が大役を引き受けることになったような顔をしてため息交じりに言われ、菜々子はその夜、花のモチーフを編んだ。どうせ修一が行っても同じ結果になっていた。どちらが引き受けても、実行委員の仕事を実際にするのは菜々子だ。仏具店を一人で切り盛りしているのと同様に。
 編んで、編んで、編みまくった。バラだかボタンだか解らないが、種類など何でもいい。菜々子はこれしか編めない。一度、モチーフ編みの本を買ったことがあるが、編み目記号がまったく解らず、本棚に仕舞い込んだ。ただ、このモチーフを繋げてしまうと、今度は自分がそれをまとってこの町から出ていきそうで、バラバラのまま紙袋に入れて押入れに仕舞っている。
 定例会の翌週、久美香を寝かせてから、集合場所である五丁目の〈はなカフェ〉に行くと、他のメンバーはすでに店の中央にある一枚板の大きなテーブルを囲むように座っていた。菜々子を含めて、男女三人ずつの計六名。商店街の集まりだというのに、誰一人知った顔がいなかった。それ以前に……。
 半分以上が鼻崎町の顔じゃない。
 一人ずつをじっくり観察する間もなく、菜々子はそう直感した。美男美女が集まっているわけではない。服装も、それぞれ個性的ではあるが、奇抜なファッションをしているわけでもない。むしろ、ファイルを手にしたリーダー的な女性は、素朴な、自然派志向の恰好で、田舎の港町には似合っているが、それがかえって違和感を醸し出している。
 都会の人が憧れる、田舎暮らしの恰好だ。
 ──皆さんお揃いのようなので、ミーティングを始めたいと思います。
 長い髪を頭のてっぺんでおだんごにまとめ、ネル素材の若草色のぶかぶかとしたスモックを着た女性から、案の定、港町独特の訛りはまったく聞き取れなかった。女性は星川すみれと名乗った。
 ──まあ、今日は顔合わせみたいなものなので、リラックスして世間話でもしましょう。
 それが合図であるかのように、カウンターの奥からジュッと音が上がり、香ばしいバターの香りが漂ってきた。好きな飲み物を一つ頼むようにと、まな板大の木の板に書かれたメニューがまわってきて、菜々子はカプチーノを頼もうかと思ったが、ホットコーヒーにした。「かぷちいの」と丸っこい文字で書かれたものを読み上げるのが、気恥ずかしかったからだ。
 菜々子の隣の女性はカプチーノを注文した。ざっくりとしたセーターとジーンズ姿というラフな恰好だが、この人も違う、と菜々子は感じた。しかし、すみれの雰囲気とも違う。セーターの袖を肘の辺りまで無造作にあげ、手首にはシンプルなデザインのゴールドのブレスレットがチカチカと光っている。
 都会の人だ。いや、都会に憧れている、もしくは、都会にいた頃を引き摺っている、田舎の人だ。この人はもしかすると、鼻崎町出身かもしれない。
 ──久美香ちゃんのママ、よね。
 ブレスレットのチカチカを眺めているところに、いきなり話しかけられた。
 ──そうですけど……。
 答えながらしっかり顔を見てみたが、会った憶えは一度もなかった。
 ──うちの娘が久美香ちゃんと同じ小学校なの。四年生の相場彩也子。
 あいばさやこ、ちゃん、初めて聞く名前ではなかった。あっ、と思い出す。
 ──娘のカード入れを届けてくれた!
 久美香の通う町立鼻崎第一小学校では、校内での携帯電話の所持が禁止されている。電話をかける際は事務室前の公衆電話を使用することになっているため、久美香にはテレフォンカードを持たせていた。久美香の登校は修一が出勤の際に連れて行き、下校は菜々子が車で迎えに行くことになっている。時間割に合わせて迎えに行くため、久美香が電話をかけてくることはほとんどなかったが、その日はインフルエンザの蔓延で短縮授業となったため、久美香から連絡があったのだ。そのとき、久美香は電話の横にカード入れを忘れてしまい、翌日、上級生の女の子が届けてくれたという報告を受けていた。
 ──あら、彩也子が何かしてあげたのかしら?
 母親は知らないようだ。菜々子は簡単に説明し、その節はどうも、と腰を椅子から半分浮かせてぺこぺこと頭を下げた。
 ──それしきのことでお礼なんて。でも、知ってる人がいてよかった。商店街のことはよく解らないから。
 ──わたしこそ、こんな大役を引き受けるのは初めてで……。
 小学校の委員会のときから、その他大勢の役しか引き受けたことはない。二人の会話を遮るようにパンケーキと飲み物が運ばれてきた。全員に行きわたったのを確認してすみれが、では、と自己紹介を時計回りに促した。
 すみれは祭りの提案者で、全体の代表、五丁目の代表は宮原健吾だ。〈はなカフェ〉と隣の雑貨店〈はな工房〉のオーナーで、すみれのパートナーだという。名字が違うので、夫婦ではないと思われるが、仕事のパートナーなのか私生活のパートナーなのかは、菜々子には解らなかったし、質問しようとも思わなかった。ただ、健吾もすみれと同じ雰囲気を醸し出していることは十二分に感じ取ることができた。
 一丁目の代表は〈堂場仏具店〉の菜々子。二丁目の代表は呉服店〈大和屋〉の大原という男性で、下の名は名乗っていない。他のメンバーよりも二回りほど年上で、もっと若い人に頼めばよかったかな、と居心地悪そうに頭を掻いていた。三丁目の代表は美容室〈ローズ〉の舟橋徹。〈ローズ〉と聞き、菜々子は身を強張らせて舟橋を見上げたが、舟橋は菜々子の方をちらりとも見ようとしなかった。四丁目の代表は雑貨及びリサイクルの店〈プティ・アンジェラ〉の相場光稀。──以上が、祭りの実行委員だ。
 それらのメンバーで週に一度集まり、祭りまであと一週間。菜々子の仕事は案じていたほど大変なものではなかった。ミーティングの初日から、祭りの概要はほぼ決まっており、すみれから配られた進行表に従えばいいだけだった。ポスターを丸めて輪ゴムで留めたものを紙袋に入れ、一丁目の各店舗に配ってまわる。
「あらまあ、モダンだこと」
 和菓子屋〈はなさき〉の奥さんはポスターを広げてそう言ったが、菜々子には褒め言葉のようには聞こえなかった。
「お祭りの特典、何にされるか決まりましたか?」
 一店舗ずつ訊ねて、まとめたものをすみれに提出しなければならない。
「桜餅一五〇円を、一〇〇円にしようと思うんだけど」
「いいんですか? そんなに安くして」
「一五年ぶりのお祭りだからね」
 菜々子が報告することを、すんなりと古くからの人たちが受け入れてくれるのがありがたかった。
 ポスターを配り終えると、そのまま、商店街入り口にある一丁目掲示板に向かった。駅側からの玄関口となる場所なのだから、目立つようにポスターを貼らなければならないのに、畳一畳ほどのスペースはすでに埋まっている。期限切れのものはないので、勝手に剥がすわけにはいかない。
 ほんの一週間、どれか隠れてもいいものはないだろうかと全体を見渡し、人相の悪い男の顔と目が合った。
『おまえ、芝田か?』
 指名手配のポスターだ。事件が起きたのは五年前、隣の市に住む資産家の老人が殺された。容疑者は八海水産に勤務する男。事件当時は全国ニュースで大きく取り上げられ、町内でも、ハッスイ関係者内でも、事件の話題で持ちきりだったが、半年、一年経っても容疑者は捕まらず、ニュースで続報を聞いた憶えもない。
 被害者は鼻崎町の人ではないし、警察から注意を受けたら剥がせばいいだけだ。菜々子は事件そのものを覆い隠してしまうように、色鮮やかなポスターを広げて画鋲でとめた。それほど悪いことをしたとは思わないが、店まで走って戻った。
 祭りまでに用意することといえば、あとは、スタンプラリーの景品だけだ。各ブロックの店で買い物をして専用の台紙にスタンプを押してもらい、本部に持っていくと、くじを引くことができる。一等から五等までの景品はそれぞれ実行委員の店が準備をし、〈堂場仏具店〉からは五等の景品として線香を用意することになった。
 ラベンダーの香りの線香をすみれが用意した和紙で包まなければならない。
 薄いピンクの縦長長方形の和紙の上に、紫色の線香を一〇本並べる。それを果たし状のように、まずは左右両端を折り重ね、次に上下を折り曲げる。ひっくりかえしたときに、あらかじめスタンプで押されていた文字が真ん中にくるように気を付けなければならない。
『花サク、カホリ』
 一見、昔の電報みたいでオシャレっぽいような気がするが、意味が解らない。花サクはおそらく鼻崎にかけてあるのだろう。カホリは線香のウリだとして、花が咲く香りとはいったいどういうものなのか。日本語として正しいのだろうか。そもそも、一番ハズレの賞とはいえ、線香をもらって喜ぶ人などいるのだろうか。景品代は祭りの予算から出るのなら、和菓子屋に頼んだ方がいいのではないかとすみれに提案したが、すぐに却下された。後になって他の店舗から不公平だという意見が出ないように、各ブロック同じ条件にしなければならない、と。とはいえ、仏具店から何を出せばいいのか。
 菜々子が頭を悩ませていると、すみれは直接店を訪れ、何か花に関連するものはないのかと問い、線香の箱を手に取った。
「ちょっとこれ、すごいじゃない。国産ってだけでも価値があるのに、製造元の所在地が鼻崎町って。どういうこと?」
 八海水産で栄える前は、鼻崎町は線香の産地として知られていたと、菜々子は小学生の頃に習ったことをすみれに話した。岬の辺りの一帯はかつて、一面、蚊取り線香の原料となる真っ白な除虫菊畑が広がっていた、とも。
「そういうエピソードが欲しかったのよ」
 すみれはそう言って手を打ち、景品を線香にすることを決め、翌々日には和紙が届けられた。五〇〇個作らなければならない。それほど人が集まるのだろうか、と別の不安が込み上げてきたが、五〇個作った辺りからそんなことはどうでもよくなった。モチーフ編みと同様、細かい作業は頭の中を空っぽにしてくれる。
 何にしろ、久美香が祭りを楽しみにしている。ママって実行委員なんだよね、と何度言われたことか。久美香の弾んだ声を思い出すと、『花サク、カホリ』と書かれた包みも徐々にかわいらしく見え、心なしか、祭りが少し楽しみになってきた。

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