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Arknoah2 ドラゴンファイア
乙一

 prologue

 マリナ・ジーンズの歯並びは、竜巻でも通りすぎたみたいに、とっちらかっている。クラスメイトたちはマリナのことを、びっくり箱と呼んでいた。初対面の男の子は彼女の歯並びに気づくと、ぎょっとした顔つきになり、よそよそしくなって目をそらすのだ。
 年上の不良たちが、マリナの周囲を自転車でぐるぐるとまわりながらわらう。
「口を開けて、見せてくれよ」
「ひどい歯並びだな! まるで化け物だ!」
「夜にばったりあったら、しょんべんもらしちまいそうだ!」
 そこでマリナは、夕飯の席で両親にかけあってみた。
「歯の矯正をしたいの。いいでしょう?」
「矯正? どれくらいのお金がひつようかしってるの?」
「歯並びを良くしたいなら、自分ではたらいて金を貯めな」
 しかたなく自分でその費用を貯めることにした。近所の家の草刈りや荷物運びを手伝ってこづかいをもらい、それを貯金箱に入れた。歯の矯正をしたいのだと説明すると、多少のあわれみがあったのか、おおめにもらえることがあった。貯金箱は壁の穴の奥へとかくしておいた。以前に何度か、父が勝手にマリナの貯金箱や財布を持ち去り、酒やギャンブルや煙草の費用にしてしまったことがある。だから盗まれないように気をつけなくてはならない。
 歯列矯正の費用は大金だ。まわりのクラスメイトたちが、かわいらしい小物を買ってもらったり、町の商店でお菓子を購入しているときもがまんした。びっくり箱と呼ばれるのはもういやだった。歯並びが良くなったら、クラスメイトたちは、自分のことを避けなくなるにちがいない。休み時間にも、いっしょにおしゃべりをしてくれるかもしれない。学校の廊下をあるくとき、だれかが自分のとなりをあるいてくれるかもしれない。自分のことを大事におもってくれる友だちだってできるかもしれない。だれかに好きと言ってもらえるかもしれない。歯並びが良くなったときのことを想像しながらいつも眠りについた。

「治療することになったら、まずは数本の歯を抜き、それからマルチブラケット装置と呼ばれる金具を歯に取りつけます。接着剤で一個ずつちいさな銀色の金具を歯の表面にくっつけて、それらにワイヤーを通すのです。ワイヤーがぎりぎりとしめつけて、数年かけて歯の位置がすこしずつ移動してゆき、やがて歯並びが良くなるんです」
 レントゲン写真を撮影し、治療の方針や費用について医者が検討する。母が同意書にサインをして、歯列矯正がはじまった。麻酔を打たれて数本の歯がひっこ抜かれ、さらにその一週間後、のこった歯に銀色の金具とワイヤーが設置された。
 歯の表面を舌の先端でさぐると固い感触があった。口のなかに銀色の物体がはまっているのは異様だ。だけどその異様さがありがたかった。対面する人々が、歯並びそのものではなく、銀色の金具の方に注意をむけてくれる。
 しかし不良たちのひどいあつかいは改善されなかった。
「何度でもそうしてやるよ! びっくり箱のくせに!」
「その歯並びが、普通になんか、なるもんか!」
「ぎゃははは、見ろよ、口のなかが血だらけだぞ!」
 歯並びを良くして普通の子になりたい、という向上心が癪にさわったようだ。その日、不良たちに呼び止められて、建物の裏に連れていかれた。不良のひとりが、ニッパーを用意していた。体を押さえつけて頭を固定し、無理矢理に口をひろげさせ、歯をつないでいるワイヤーにニッパーの刃をあてたのである。
 ばつん!
 歯をしめつけていたワイヤーが切断されると、その衝撃が顎の骨をふるわせた。切断されたワイヤーが、くちびるの内側の皮膚を傷つけて血が流れた。涙をこぼしながら、歯科医のもとへ駆けこんだ。口のなかが痛くてたまらない。待合室のベンチで顔をおおった。あまりのくやしさに、はげしい感情が胸にうずまいて、はりさけそうなほどおおきくなる。すべてを焼きつくしたくなるようなおもいが、体からあふれ出しそうだった。

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