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偏差値70からの甲子園
僕たちは野球も学業も頂点を目指す
松永多佳倫

第0限 まえがき

 今は、“偏差値”がなんであるかは皆知っていると思うが、三〇年前はそうではなかった。
 初めて耳にしたときはてっきり病気の名前かと思った。周りを見ても、中国の偉人と言うやつもいれば、どっかの地酒でしょと宣うやつもいたほど、曖昧で不可思議な言葉だった。
 かつてはバカがオチャメで許される牧歌的な時代もあった。
 世間には“○○バカ”という呼び名がいたるところにあり、その中でも“野球バカ”は戦後プロ野球が大衆娯楽として地位向上したあたりから言われ出し、割と馴染みの言葉でもある。
 一九七〇年代前半、巨匠水島新司が描いた『男どアホウ甲子園』という漫画があった。主人公の藤村甲子園は野球名門校に落ちて吹き溜まりの不良高校に入るしかなかったが、自慢の“剛球一直線”をモットーに高校三年甲子園春夏連覇。その後、巨人ドラフト1位指名を蹴って、大学試験問題を作成するのが趣味という変テコな父親の協力と巧みなカンニング行為により東京大学に入学し、東京六大学リーグ戦で初優勝させ、念願の阪神に入団して活躍するというストーリー。漫画とはいえ、バカ丸出しで無茶苦茶な主人公に皆が共感し、熱くなったものだ。ちなみに『MAJOR』『ダイヤのA』『ラストイニング』『ストッパー毒島』にも共通するのは、ピッチャーが揃いも揃って学校の成績が悪く、荒唐無稽のキャラクター。一言で言うと、バカってことだ。他のスポーツ漫画で主役級をここまで明らさまにアホキャラにするのは皆無であり、こと野球漫画のキャラ作りにおいては“野球バカ”というのがイメージしやすいのだろう。
 一昔前は、勉強できるやつとスポーツできるやつの二極化が当たり前だったのが、今は勉強もできてスポーツもできる子が増えている気がする。それも真剣に甲子園を目指しながら東大も目指すトップクラスの文武両道の学生が増加している事実を踏まえると、人工知能が急速に進化しているAI時代がパーフェクトを求めているのだろうか……。
 進学校と野球強豪校を比べるまでもないが、選手層、練習の質量ともにレベルの段違いは否めない。それを効率よく独自性ある練習でカバーしているのが進学校の姿だと喧伝されている。進学校をフィーチャーすれば、決まって“練習の効率化”という言葉が頻繁に出て、さも強豪校より効率の良い練習をしているイメージだが、強豪校だって当然練習の効率化は進んでいる。全国から優秀な選手を集めてプロ野球球団並みの設備で、科学トレーニングからメンタルケアまで細分化された練習を朝から晩まで効率よくやる。そりゃ嫌でも強くなる。
 十分な環境が整っていない進学校が短い時間内での練習の効率化を求められるのは確かだが、それだけで甲子園に行けるほど甘くない。プラスαがあるからこそ、進学校の躍進が目立っている。それが個々の意識であることは裏打ちされており、自己肯定感、自己有用感なのか、はたまた対応力や柔軟性なのかは人それぞれだが、確かなのは揺るぎない意思決定力と思考の深化だ。そんな一八歳の彼らの考えをもっと深く知りたいと思い、超進学校の取材を重ねた。
 偏差値70以上もある球児たちなら、高校野球が汗と涙が混じる淡い青春物語じゃないことくらいわかってるはずだ。これだけ情報が氾濫していればおおよそのことは見えてくる。そんな現状に躓くこともなく、彼らはもっと先を見ている。勉強ができるということは高い集中力と理解力、卓越した分析力などの能力が備わり、常に未来を見据える“先見の明”という才能を持っているため、壁にぶつかっても多様性ある打開策を講じられる。前世代からの重要なるファクター“根性”と“気合い”だけでは乗り越えられない壁でも、彼らなら乗り越えられる。やはり偏差値70は伊達じゃない。
 有名なところでは、筋トレをするときに頭に思い浮かぶ理想像をイメージしながらするのとしないのとでは筋肉の付き方も変わってくるという科学的データがあるように、人間が持つ思考を顕在化することで無限の可能性が広がる。だから、一生懸命に勉強をしている子たちは柔軟な思考回路が構築されているため対応能力も半端じゃない。努力から成し得た能力の強みである。
 過当競争の中で最先端のトレーニングメニューを与えられて、それをこなしてレベルを上げていくプロ野球選手予備軍よりも、置かれた環境で効率化を求め、計画性を踏まえて考えたロジックで戦う秀才軍団のほうが魅力的に映ってしまうのはなぜだろうか。
 文武両道の球児たちは将来のリーダーを目指すため学業とスポーツを両立させているわけではなく、己の自己研鑽のもと、好きな野球を続けたいという意志を貫き、勉強でも一番を目指すのだから野球でも一番を目指す。負けず嫌いだから勉強も頑張り、野球も頑張る。いたってシンプルだ。
 集団に属していれば、人間は必ず“やっかみ”が生まれる。
 学校という集団行動から意識化された妬みや嫉妬が心の内を蝕んでいく。野球強豪校はそれをバネにして上を目指していくのだが、文武両道の子たちは相手がどうのこうのじゃなく、まずは自分である。高度な知識を得て吸収するためには自分ひとりでやらなくてはならず、誰も助けてはくれない。それを身に染みて体現しているからこそ、自分の高みを追求することだけに没頭し、他人に対して負の感情が生まれてこない。頭と心の連動がうまくいっているからこそ人としてのあり方を常に考えることで他人を慮る気持ちも芽生え、チームワークがより強固になる。
 時代はもはやハイブリッドに突入だ。
 この文武両道の球児たちの姿こそがパーフェクトだとは思わないが、それでも新しい何かを形成している気がしてならない。オリンピックのメダリストを見ても、理知的なアスリートばかりだ。
 頭脳明晰な球児たちから生まれるひたむきさ、強情、貪欲な思いは、すべての可能性を秘めていると断言していい。もう野球バカとは誰にも呼ばせない。
 一八歳だからといってもいつまでもクソガキだと思ってはいけない。彼らは敏感に世の中を見ているし、そこらへんにいる大人よりも歯を食いしばって理性的に生きている。経験値は低いが、思考回路は立派な大人だ。本書を読み終わったら、誰もがそう思わざるをえない境地にきっとなるはずだから……。

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