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怪魚ウモッカ格闘記
インドへの道
カイギョウモッカカクトウキ

著者:高野 秀行
■ISBNコード: 978-4-08-746215-9
■判型/総ページ数: 文庫判/336ページ
■発売年月日: 2007年9月20日
プロローグ

 その夏の日――正確には二〇〇五年八月十八日の昼下がり――は、ここ十数年の夏の昼下がりがいつもそうであるように、猛烈な暑さだった。
 私は窓を開け放ち、短パン一枚の上半身裸で、拾ってきた扇風機のぬるい風に吹かれながら、文字通り汗水をだらだら垂らしてパソコンに向かい原稿を書いていたが、一段落したところで急に嫌気がさした。
 暑いからではない。なんというか、無機的な文字の並ぶ画面を見つめながら机の上でキーボードを打ち続ける作業がどうにもかったるく、小ざかしく思えたのだ。突然、目の前のパソコンをぶっ壊したいという衝動にかられた。
 机上に嫌気がさすと机下に逃げるという昔ながらの習性で、私は床にごろんと転がって天井を眺めた。背中の汗が床にべとついた。
 ――何か探すものはないかな……。
 そう思ったのは別にその日が初めてではない。ここ二週間くらいずっと、深まる心身の虚脱感と反比例するように、「探し物をしたい」という根拠のない激しい欲求が腹の底のほうからこみあげて、気持ちをはなれないのだ。
 また禁断症状が出ている、と私は思った。典型的な「探し物中毒」の禁断症状だ。探し物中毒とはなにか。だいたい、どうして、「探し物」をしなければならないのか。簡単にいえば、私は大学時代に探検部に所属していて、人と生まれたからには探検するもの、という誰から見てもまちがった教えを胸に刻んでしまったことが全ての原因である。
 探検とは字が示すとおり、探して検べる行為だ。探すためには徹底的に検べなければいけないので、セットの単語になったと勝手に解釈している。
 無論探すものも並大抵のものではいけない。アジア、アフリカ、南米などの辺境へ行き、未知のものを探すのが理想だ。
 誰も見たことがないものとか、外部の人間がここ五十年くらい入ってない地域とか、噂はあれど真実がどうなのか誰も知らない物事とか、なんでもいい、誰もやったことがないことがしたい。
 それが私のいう「探し物」だ。
 そんなものを学生時代からずーっと探してきた。
 コンゴの奥地に棲む謎の怪獣「ムベンベ」探しをかわきりに、中国の野人、同じく中国の胎盤餃子、南米コロンビアの幻の幻覚剤などを探して二十代を過ごした。三十代に入ってからは、「探し物」の範囲を広げ、深度を上げた。外部の人間としては世界で初めて、麻薬地帯ゴールデントライアングルの核心部にもぐりこんで長期滞在をしたし、幻の西南シルクロードを戦後初めて陸路で踏破したりした。
 その他、細かい探し物は枚挙にいとまがない。
 結果的に失敗したもののほうがずっと多く、たまに成功しても世間では評価された例がない。ほとんど徒労に近い。
 ではなぜそんなことをするのか。
 探し物のよいところは、目的が「モノ」というところにある。場合によっては、対象が土地だったり民族だったりもするが、具体的に目で見え、手で触れるものであることには変わりない。
 とにかく、モノはわかりやすい。頭が少々悪かろうが、体力がなかろうが、運がよければ見つけられるし、見つけちゃえば勝ちである。
 やったもん勝ち、行ったもん勝ち、見つけちゃったもん勝ち……、この明快さがいい。
 ゲームやスポーツにもちょっと似ている。だが、ゲームやスポーツとちがって、ルールがほとんどないというのが、なおいい。
 手段を選ばず、知力・体力・技術・経験を総動員して挑む。ときに反則もありだ。なぜなら現地では相手も反則を次から次へと繰り出してくる。対抗上やむをえない。
 もうなりふりかまわず目標に向かって邁進する充実感。障壁を一つずつクリアーして目標に近づく快感。日常にはありえない、直球ど真ん中勝負の醍醐味。
 そして、もし大発見をしたら、ドッカーンと人生の逆転満塁ホームランとなる……。
 これがもう気持ちよくて、中毒になるのである。
 しかるに、ここ三年、私は探し物あるいは探検的活動から遠ざかっている。
 本業である物書きの仕事が忙しいという理由もあるが、それだけではない。本気の探し物はきつい。ルールも時間制限もなく、なりふりかまわず闘うという超総合格闘技なので、一度やると、心身ともに疲弊する。歳をとると、気力も体力も落ちてくるし、命の危険に対する恐怖心も増す。
 首尾よく見つかったときはまだしも、空振りに終わったときのダメージがきつい。当分は何もする気力がなくなる。どちらにしても、探し物を終えて帰国し、それを文章に書き終えると、虚脱してしまう。
 そうして、しばらく日本の自宅でだらだらしている。すると、次第に「こんなことしていていいのか」という焦りにも似た気持ちに蝕まれていく。全盛期をすぎたアスリートが病気や怪我で休養しているときに近い感覚だと思う。肉体的な筋力ばかりか何か物事に取り組む力という比喩的な筋力も落ちていくのを肌身に感じて、それは恐ろしい。
 あの全力投球の探し物はもうできないのではないか。このまま平凡なインドアライターで終わってしまうのではないか。いや、平凡なインドアライターだって務まるかどうか。ふつうの仕事なんかあまりやったこともないし……。探し物をしていないときの自分はただのへなちょこだということを思い出し、どんどん自信を失っていく。
 やがて、人と会うのが辛くなり、一人でいるのが不安になり、あー、オレ、もうダメだ……と症状は進行する。禁断症状そのものだ。
 そして禁断症状がピークに達すると、亡霊じみた探検熱にとりつかれ、突然意を決して探し物に突入する。脳内物質が出まくり、衰えた筋力のことは忘れて、突っ走る――。これが私の基本的な人生サイクルである。
 いちばん最近、全力の探し物をしたのは、三年前(二〇〇二年)の西南シルクロード探査だ。そのときは「家から出るのが怖い」という極度の引きこもりだったのだが、思い切って家を出たら一転、ゲリラ地帯のジャングルを徒歩で踏破するという、水が怖い人間が頭から海に飛び込むような荒業で、なんとか禁断症状をクリアーした。
 さて、今また、気持ちも身体も探し物を求めていた。
 並大抵ではない、誰もやろうとしない、でも見つけたら凄いという探し物。そんなものはないのか!? 眠り込んだ私の活動力を呼び起こすような「何か」はないのか!?
 いらいらが募ってきた私は発作的に、自分のブログに書きなぐった。
 題して「突然、魂の叫び」。内容は「なんでもいいから、誰か探し物を教えてほしい」。人から見たら妄言にしか思えないかもしれないが、しかし私にとっては至極真剣なお顧いであった。
 意外にも、読者からのコメント(書き込み)が続々と寄せられ、「探し物」候補がわんさか登場した。
「牛久沼には本当に河童がいるのか」
「ミャンマー最高峰カカボラジ山の東は外国人には人跡未踏。わけのわからない話がたくさん転がっているにちがいない」
「一九八○年代に絶滅したチンドウィン川のカワイルカを探してほしい」
「チンドウィン川の龍、イラワジ川の龍を探せ!」
「ニューギニアのアマゾネスはどうでしょうか?」
 うーん……。いろいろ来たが、私が何か探すとなると、なぜか未知動物ばかり期待されるようだ。どうして他のものはあまり挙がらないのだろう。コンゴの怪獣や中国の野人を探したのはもう十数年も前の話だ。いつまで高野秀行=未知動物と思ってるんだろう、と少し腹立たしく思ったりもしたが、考えてみたら、このブログの名称自体が「ムベンベ」だった。無理もないか。
 いかん、いかん、そういう怪獣とか龍だとか、わけのわからんものとは早く縁を切らねば、ブログの名称も変更しなきゃと思いつつ、ふとコメントの一つに目が留まった。

 ぜひ!
 インドの『謎の怪魚 ウモッカ』を探してください! (…この続きは本書にてどうぞ)

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