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私を知らないで
白河三兎
   序 章

 どうしてウサギの耳は長いの? ペットショップで子供が親に訊ねていた。小学校に入ったばかりくらいの女の子と日々の生活の疲れが顔に滲み出ている母親の会話に僕は耳をそばだてた。
「いっぱいの音を聞くためよ」
「どうしていっぱいの音を聞くの?」
「怖い敵から早く逃げるためよ」
「どうして逃げるの?」
「捕まったら怖いことをされるからよ」
「でもこのウサギさんは捕まっちゃったんだね」と両手で両頬を押さえてウサギを見下ろしながら言う。「怖い敵に」
 何も言い返せない母親は子供の手を強引に引っ張って出入口へ向かった。僕はクスリと口元を崩した。
 ウサギの耳は集音器のためだけじゃないんだよ、とその子に教えてあげたかった。体温調節の役割もあるのだ。犬の舌と同じでラジエーターになっている。毛細血管が多く集まる耳を風に当てることで体温の上昇を防ぐ。
「どうして?」と子供は母親に引き摺られながら訊く。「このウサギは耳が垂れているの? 何も聞こえなくていいの?」
 母親は無視して店の外へ連れ出してしまった。僕は子供が疑問に思ったウサギのケージヘ歩み寄る。腰を屈めて覗き見ると、確かに耳がペタンと折れ曲がって垂れていた。
 値札の横には「ホーランドロップ」と記載されている。きっと人間が品種改良をしたウサギなのだろう。耳をピンと高く張って周囲を警戒する必要のないペット用のウサギだ。
 僕はまたクスリと笑う。このウサギが自らの意志で「何も聞きたくない」と耳を塞いでいるように見えたからだ。
 他のウサギは「いっぱい聞きたい」と躍起に耳を進化させたのに対して、こいつときたら我関せずで鼻をピクピクさせて自分の世界に閉じこもっていやがる。
 ピーターラビットのモデルになったネザーランド(人々が心に描く典型的なウサギの品種)を購入しようと来店した。でも気が変わった。
 どのウサギにも声帯がないので鳴かない。そしてホーランドロップは耳を塞いでいる。
何も喋らず、何も聞かない。ただ傍観しているだけ。まるで『キヨコ』みたいだなと思い起こし、そのウサギを飼うことにした。

 それが僕とウサギの『ナナ』の出会いだった。あれから四年ほど一緒に暮らしているが、一人と一羽の関係は概ね良好だ。
 歯が強い品種なので部屋のそこら中を噛みまくったり、換毛期の抜け毛の多さに悩まされたりもしたけれど、そういう生き物だと一度理解してしまえば、それなりの心構えと対策を整えられる。
 名付けるのを億劫がって『名無し』と呼んでいるうちに『ナナ』に落ち着いてしまった。どこかに後ろ暗さがあったのだろう。
 ウサギをペットにしたのは、一人暮らしの寂しさからでも、小動物が好きで好きで堪らないからでもなかった。不純な動機だったためにウサギに気が引けてしまったのだ。
 初めは『キヨコ』と名付けようとした。『キヨコ』の名称は僕が譲り受けたものだから、どこでどう使おうが僕の気持ち一つだ。
 でも止めた。仮にウサギに命名したとしても、『キヨコ』という名を口にして瞬時に思い描くのは一人の女性のことだけだっただろう。
 僕は彼女と交わした約束を十三年間守り続けてきた。その間に人間には処理しきれない問題も蓄積し続けた。溜まりに溜まったところでウサギに白羽の矢を立てることにした。つまりは道具としてウサギを飼い始めたのだ。
 それでも長く一緒の時間を過ごすと、接着剤のような一度くっついたら離れない感情が僕とナナを結合させるようになった。
 できる限り家を空けている時間を少なくしたい。残業は極力回避する。同僚からの誘いは体よく断る。休日は出不精に徹する。
 いつの間にか周囲からウサギ男と冷やかされてもまるで気にならない男が出来上がってしまった。そんな男だから恋人ができても、すぐに愛想を尽かされてしまう。
 今日も家にいたかった。せっかくのオフの日にわざわざ外へ出たくない。ナナと一緒に耳と口を閉じて静かに過ごしたい。でも仕方ない。今回ばかりは邪険にできない。一生に一度のことだ。むしろ一度きりじゃなければ困る。
「本当に?」とナナが訊いたような気がした。
 僕はウサギのケージに顔を近付ける。手元に置いてある茶筒から向日葵の種を一粒出してナナに食べさせる。そして僕は自分の心の声に答える。
「たとえ二度目があったとしても僕にはチャンスは巡ってこないんだよ」と。
「本当に?」
「本当だ」と自分に言い聞かせるように声に出して言う。
 ナナが体を震わせた。普段は心の声でしか話しかけないから驚かせてしまったらしい。「ごめん」と心の中で謝る。「じゃ、行ってくるよ。できるだけ遅くならないようにする」
 僕は玄関を開け、音の溢れる世界に踏み出す。耳を高く高く立て、上唇と下唇の隙間をこじ開けなくてはならない世界で僕は直視する。過去からの因果と、ままならない現在を。

   第一章 新 生

 十三歳の夏の終わりに僕たち一家は富士山の麓の町から横浜市の外れの町へ移り住んだ。僕の父さんは転勤族だった。総合職の銀行員は顧客との癒着を防ぐために二、三年のサイクルで他の支店に移らなければならないそうだ。
 四回目の転校の時、父さんは転勤族の生態について教えてくれた。それまでは「引っ越すことになったから」の一言で済まされていた。もう中学二年生だから大人の事情を理解できるようになっただろう、と父さんが僕を大人扱いしたことが嬉しかった。
 だから生活をリセットする寂しさや不安はほとんど感じなかったし、新学期が始まって早々のタイミングの悪い転校にも「父さんの仕事の都合だから仕方ない」と寛容ぶることができた。
 新天地は本当に横浜の外れにある町で、最寄り駅は市内最北に位置している。中華街や山下公園やみなとみらいへは電車で約四十分かかるのに、渋谷へは乗り継ぎなしで約二十分で着くので、町の若者はみんな渋谷を目指す。
 町の大人の多くは東京で働いている。元々東京のベッドタウンとして発展した町らしい。だからか僕の第一印象は「郊外のくせしてどことなく都会的だな」だった。
 横浜駅の方がよっぽど田舎臭いのだ。横浜市に越してきたのだから、と家族で横浜の観光地を巡った際にがっかりした。横浜の中心が郊外よりも洗練されてないなんて。
 両親も同じ感想を抱いた。父さんは「だから横浜ベイスターズが弱いわけだ」と、母さんは「こんなんだから横浜市は財政破綻しかけているのね」と納得した。
 市内最北の駅が都会的なのは、きっと大人たちが東京の空気を吸っているからなのだろう。東京化された二つの肺から吐き出される息は東京の匂いがするのだ。大人たちは各家庭で東京の息を家族に吹きかけて感染させ、その家族も拡散させていく。そして町を東京の匂いですっぽり包み込む。
 この土地のルールは特殊なはず、と町の空気を機敏に感じ取った肌が警告する。都会的であるということは、残酷かつ狡猾な子供が多い、ということ。名古屋、東京、静岡と渡り歩いてきた。やんちゃな田舎よりも、小賢しい都会の方が手強いのは経験済みだ。心して転入初日を迎えた。
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