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不惑の手習い
フワクノテナライ

著者:島田 雅彦
写真:丸谷 嘉長
■ISBNコード: 978-4-08-771226-1
■判型/総ページ数: 四六判変型ソフト/176ページ
■発売年月日: 2008年5月2日
01
二胡


習い事は一にも二にも練習なので、堪え性のない者には地獄だ。私も少年時代、書道、そろばん、柔道を習ったけれども、基礎を体に叩き込む前に逃げ出したので、何も身につかなかった。身についたのは日本語くらいか。読み書きや計算だって、自然にできるようになるわけではなく、十数年の訓練を通して学ぶ芸だ。
 大学三年の頃、私は衝動的に学生オーケストラに入り、ヴィオラを練習し始めた。半年の練習でチャイコフスキーの交響曲『悲愴』が弾けるようになるか、友達と賭けをしたのだ。誰もが無茶だといったが、私は無茶なことしかしたくなかった。音階練習などやっている暇はない。楽譜に指番号をふり、ヴィオラの音だけのテープをつくってもらい、それを全部耳で覚え、指使いと弓使いを連動させる。賭けに負けたくない一心で、冬休みは腱鞘炎になるほど練習を積み、春の本番で無事に弾き切り、賭けに勝った。最初で最後のコンサートが行われたのは一九八三年五月七日、私の小説が初めて活字になった日と同じだ。以来、ヴィオラは弾いていない。中年になってから、ピアノを習い、レパートリーはショパンの『英雄ポロネーズ』一曲という人に会ったことがあるが、他人とは思えなかった。稽古から忍耐と退屈を間引けるのなら、習い事は快楽追求のジャンルになる。身につかなくたっていいのだ、格好さえつけば。頂上を極めるのではなく、ハイキングをするのだ。不惑の手習いとは、アマチュアリズムの追求であり、一目置かれる素人になることを目指す。
 ヴィオラ演奏で生まれて初めて習い事の快楽を知った私は、原点に返って、同じ弦楽器から不惑の手習いを始めることにした。実は二十年近く前、楽器を見ると衝動買いをする癖のある私は北京で二胡を土産に買ったのだが、今に至るまで一曲も弾いたことがない。この扱いにくい楽器も、一流の先生につけば、簡単な曲ならすぐに弾けるようになると、甘い考えで北京へ飛んだ。中国でも近年、二胡は大人気で、北京中央音楽学院でも二胡専攻の学生数が一番多いという。ほかにも民族楽器は多々あるが、京劇役者の肉声を思わせる二胡独特の音色は華人の情を表現するのに最も適しているのだろう。
 先ずは基礎中の基礎、楽器の構え方、弓の持ち方を中央音楽学院の学生、趙元春さんに指導してもらう。丸い胴の部分を左の腿の付け根にあてがい、固定する。高い方の外弦がA、低い方の内弦がDで、ヴァイオリンと同じ五度にチューニングされた二本の細いスチール弦が指に食い込む。二胡にはフレットも指盤もなく、宙に張られた弦そのものを押さえる。弓は二つの弦に挟まれているので、弓の毛の内と外両方を使う。弓は箸を持つのと同じ要領で持ち、内弦を弾く時は薬指と小指で弓の毛の束を押す。弦を押さえる左手と弓を操る右手の連動が難しい。早速、開放弦の練習だ。
 五歳の時から中央音楽学院教授の父趙寒陽氏の英才教育を受けてきた十九歳の彼女は父が書いた教則本でもモデルになっている。だから、彼女の真似をするのが、基礎を身につけるショートカットではあるのだが、指も手首もスムーズに動かず、歯軋りのような音が混じる。弓を押したり、引いたりする時、手首をリラックスさせ、色っぽく返すのを心がけると、音色もつややかになる。 (…この続きは本書にてどうぞ)

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