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幕末裏返史
バクマツウラガエシ

著者:清水 義範
■ISBNコード: 978-4-08-771259-9
■判型/総ページ数: 四六判ハード/288ページ
■発売年月日: 2008年9月26日
第一章 ゴールド・ラッシュの日本人


     1

 そこには、命知らずの荒くれ者が世界中から押し寄せていた。もちろん、アメリカ国内から一攫千金の夢を抱いてやってきた流れ者がいちばん多い。鉄道はまだごく一部の区間しか開通していなかったからそれ以外は荒野を、ある者は幌馬車に乗り、ある者は馬の背に揺られて、広大なアメリカを西へ西へと突き進んできたのだ。その地に人生の一発逆転をあてこんで。
 だが、それ以外の国からも夥しい人間が集まってきていた。ヨーロッパから、オーストラリアから、果ては遠く中国から、髭が伸び放題のむさ苦しい男たちが、金盥とつるはしを手にどっと流れこんできた。
 そことは、アメリカの西海岸カリフォルニアである。男たちは、大西洋を横断してパナマ地峡越えをするとか、南アメリカ最南端のホーン岬経由で、はたまた太平洋を横断して、サンフランシスコの港に続々と上陸した。ほんの数年前には数少ない家に森が追っていて、わずかに伝道館だけが目立つ建物だったその港町に、今はバラックが建ち並び、港内には大小二千艘の船がひしめきあっていた。とりあえずは船を宿にするしかない者も多かったのだ。
 彼らの本当の目的地はサンフランシスコではない。そこからアメリカン川を遡り、支流のコロマ川を上ったシエラネヴァダ山脈の麓、コロマが目的の場所なのだ。だが、そのあたりはアメリカ国内から押し寄せた者たちのバラックやテントでいっぱいであり、海外組はサンフランシスコに生活して、毎日船で仕事場に通うしかなかったのだ。
 毎朝、時間になると蒸気船が合図の鐘を鳴らした。すると男たちは先を争って船に乗りこむのだった。夢をかなえるための仕事場へ行くのだ。男たちは欲望に目をギラギラ光らせており、何も知らなければ海賊のように見えた。
 だが男たちは海賊ではなく、戦争難民でもなかった。彼らの目的は、たんまりと金を手に入れることだったのだ。この年、一八四九年、カリフォルニアはゴールド・ラッシュに沸きかえっていた。
 アメリカがメキシコからカリフォルニアを割譲されたのは一八四八年のことである。現在のネヴァダ州、ユタ州、アリゾナ州などを含む広大な土地を国土としたわけだが、まだ住む者は少なく、ほとんど未開の地域だった。
 ところが、その年の一月のこと、スイス移民の大農園経営者ジョン・サッターに雇われていた大工のジェームズ・マーシャルは、コロマの地に製材用の水車小屋を追っていて、とんでもない発見をしたのだ。水車のための水路を造ろうと土を掘っていて、土の中に小指の先ほどの金を見つけたのだ。よく見てみれば、川底の土にはキラキラ光る砂金もあった。
 彼は主人にそのことを報告し、初めは信じなかったジョン・サッターも実際にその地を見て自分たちが宝の山にいることを認めた。
 当然のことながらサッターは、このことは誰にももらしてはならない秘密だとジェームズに口止めをした。ところがそういう話というものは、広がるのをおさえられるものではない。他の使用人がこそこそと噂をするうちに、このあたりに金の採れる山があるらしいと人々に知れわたっていったのだ。
 そしてその年の十二月のこと、アメリカのポーク大統領は年次教書の中で、カリフォルニアの金鉱発見に言及してしまったのだ。たちまち、わずかの元手で一攫千金を求める者が殺到することになった。
 一八四九年に、金を求めてカリフォルニアのネヴァダ山麓に殺到した人々のことをフォーティナイナーズと呼ぶのだが、その数約十万人である。まさしく、ゴールド・ラッシュであった。
 一八五一年には年間の金産出額が五千五百万ドルになり、カリフォルニアの人口は十二万人にまでふくれあがる。人口が増えたことによりカリフォルニアは州になる資格を手に入れ、晴れて州のひとつになれたのだ。
 そんな、大騒ぎの只中の一八四九年の秋、いつものように金鉱まで行く蒸気船は出発した。その日のその船には、周りの人間から大いに浮いた、身なりの涼しげな青年が乗りこんでいて、好奇心いっぱいの目ですべてのものを見届けようとしていた。
 その時二十歳のフランス人で、アナトール・シオンが彼の名だった。
 荒くれ男たちの中にあって、シオンの服装はかなり異質で目立っていた。山高帽をかぶりフロックコートを着て、ステッキまで持っているのだ。下に短いベストを着、首にはスカーフを結んでおり、ズボンは縦縞で細身のものだった。その姿で甲板の船首に近いところに立ち、熱心に川岸の景色に見入っていた。
 気障ななりをした弱そうな青年が目障りだと、髭もじゃの荒くれが喧嘩でもふっかけてくるかと思えば、そういうこともなかった。金持ちそうに見えて、みんな敬遠がちなのだ。そもそも、ここに集まってくる人間は他人に興味など持ちもしない。
 シオンは旅行中だった。貿易の仕事をしている父の代理でアメリカのボストンに来て用を終え、せっかくの機会だからこの新興国を見物しようと、アメリカ横断旅行をしたのである。そして、サンフランシスコはその旅の最終地点であった。そこからは船に乗ってパナマに行き、パナマ地峡を陸越えして、また船に乗ってロンドン経由でフランスに戻る予定だった。
 だがサンフランシスコがゴールド・ラッシュに沸きかえる様子を見て、話の種にぜひとも金鉱を見物したいと思ったのだ。金が採れるという噂だけで、どれだけの人が集まり、どんなすさまじい混乱がおこるものなのか、我が目で見ずにはいられなかった。
 好奇心旺盛で、行動力に富んだ青年だった。しかも、決断力があり、人間理解の能力にも長けていた。国際感覚があり、勇気にも事欠かない。このアメリカ旅行が、シオンを判断力をそなえた大人に育てていた。
 約一時間の川上り航行の後、蒸気船はコロマに着き、桟橋に停泊した。男どもは争うように我先に船をおりる。
 シオンも船をおり、谷あいをゆったりと流れるコロマ川を一望した。そこにくり広げられていたのは、驚異の光景だった。
 一万人を優に超えるむさ苦しい男たちが、川のいたるところに群がり、ズボンをはいたまま膝まで水につかって川底の土をさらっていた。つるはしで川床を裾り、金盥で土をすくい取り、川の水を入れてゆるゆるとまわし、土を慎重に流していくのだ。金は重いので流れず、やがて土をあらかた流し終えた時、蜜の底にキラキラ光る砂金が残る。
 欲のために目の血走った男たちが、一万人以上も川に群がっているのだ。ほかのどこでも見たことのないながめだった。
 金というものは人間をここまで駆り立てるものなのだ、とシオンは深く理解した。この巨大な欲望が世の中を動かしていく原動力なのだ。
 シオンは右手に持ったステッキの先を、左の掌にポンポンと叩きつけながら岸辺をゆっくりと歩いた。群がる男たちの欲望に圧倒されそうになりながら。
 わめいている男もいる。豆のスープをおかずにパンにかぶりついている男も。川の中で、ここはおれの縄張りなんだから近寄るんじゃねえと喧嘩を始める男さえいた。
 そんな光景を見ていき、やや人の数が少ないところまで来て、シオンはある男にふと興味を持って立ち止まった。川の中にほかとは少し様子の違う男がいたのだ。 (…この続きは本書にてどうぞ)

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