《月の光》――堀江敏幸に――
中原中也にフランス語の手ほどきをしてもらったといっても、それは高校一年のせいぜい一年あまりのこと。その終りのころ、私はヴェルレーヌの詩の全集を買った。フランス製仮綴じ白表紙の本で、全部で五巻か六巻、十巻まではなかったと思う。この全集は、なぜか当時珍らしくないものでいろんな店にあり、私は神保町の古本やで金五円で買ったのだった。
中原の詩を知れば、誰だってヴェルレーヌが読みたくなって当り前。両者の血縁関係は深くて濃厚である。また彼は酔うとよく詩を朗読したが、そういう時はヴェルレーヌの詩の一節であることがよくあり、《Colloque sentimental(感傷的対話)》など始終出てきて、これを読む彼の身振りは今でもまだ思い出せる。ただし、私はこの詩あんまり好きではなかった。
逆に好きだった一つが《Clair de lune(月の光)》
Votte ame est un paysage choisi,
Que vont charmant masques et bergamasques
Jouant du luth et dansant,et quasi
Tristes sous leurs deguisements fantasques!
あなたの魂は選りぬきの風景
そこを行く魅惑的なマスクとベルガマスク
リュートを奏で、踊りながらも、何がなし悲しそう
ファンタスティックな仮衣の下で
当時の幼い私にはフランス語の"魂 ame"の丸くて温暖な感じが気に入った。それにここには、全体を通じておしゃれで皮肉、華やかでもの悲しい味わいが流れていて、想像の翼を刺戟した。
この詩につけたフォーレの歌曲を知ったのは、それからかなりあとのこと。レコードできいて、あっ! と思い、いっぺんに心を奪われた。フォーレのは優美で知的な素晴しい歌。ピアノによる十二小節(四小節のフレーズが三つ)の主題の導入があった後、声が入ってくるのだが、それ以後はピアノと声が完璧に結びついた二重奏になっており、しかもどんな愛の口説より親密な二重唱曲といってよい。
(※本にはここに五線譜の紹介図あり)
pで出発した音楽は、しばらくして中間部(「悲しくて美しい月の光は」)の変ト長調のアルペッジョで更にppにまで弱くなり、最後にはエスプレシーヴォ・エ・ドルチェ(表情豊かに、でも優しく)になりはしても、ffはおろか一個のfさえ指定されていない。でも、いつも低声でそっとロずさめば良いというものではないことは、センプレ・ドルチェ(いつも優しく)、センプレ・カンタービレ(いつも歌って)という二つの書きこみと小さなクレッシェンドが三つつけてあるのをみればわかる。
曲の全体はABACAのロンド形式、極めて明快な古典的構造を骨組としていながらも、どこをとっても本当に肌理細かな動きがみられる。第二節に入って、始めに声にはドルチェ、ピアノにはppと指定がある。
Tout en chantant, sur le mode mineur,
L'amour vainqueur et la vie opportune,
Ils n'ont pas l'air de croire a leur bonheur,
Et leur chanson se mele au clair de lune!
愛の勝利、浮世の楽しさ
短調にのせて、歌い上げてはいるものの
自分の幸せを信じている風情でもなく
その歌は月の光にとけこんでゆく
『ヴェルレーヌは「短調」といってるのに、フォーレは、ほかならぬここで、長調をあてたじゃないか』と指摘したのは、名うての皮肉やのラヴェルだったと覚えているが、詩中の人物たちの――あのヴァトーやブーシェたちの画中の人物同様――口にしたものと胸の想いが必ずしも同じとは限らないことはフォーレも――ラヴェルだって――重々心得ていたはず。すべては「雅びの国」の舞台の上での出来事。作曲者はこの曲の題として《月の光》に加えて、「メヌエット」と註釈を書きそえていた。
Au calme clair de lune, triste et beau,
Qui fait rever les oiseaux dans les arbres,
Et sangloter d'extase les jets d'eau,
Les grands jets d'eau sveltes, parmi les marbres!
悲しくて美しい、静かな月の光は与える
木の間の鳥たちには夢を
噴水には恍惚の極みの啜り泣きを
大理石の像に囲まれたしなやかで大きな噴水には
第三節、歌はエスプレシーヴォ・エ・ドルチェ、ピアノはppで出発、メゾ・ピアノを経て、最終行いったん終りに向け大きくクレッシェンド(ここで初めて歌い手はたっぷり声を張り上げる、噴水と共に一際高く)。でも、結びはやっぱり最初に戻って、ドルチェで死ぬほかはない。あらゆるものには終りが来る。私たちにはそれを受け入れるほかに道はないのである。
(…この続きは本書にてどうぞ)
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