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さらば、ホンダF1
〜最強軍団はなぜ負ける組織に堕ちたのか?
サラバ ホンダエフワン

著者:川喜田 研
■ISBNコード: 978-4-08-780521-5
■判型/総ページ数: B6判ソフト/224ページ
■発売年月日: 2009年3月26日
 はじめに

 2008年12月5日、強い南風が吹き荒れる青山一丁目の交差点。「F1撤退」の記者会見を終え、ホンダ本社ビルを出た僕のアタマには、いくつかの異なる感情が複雑な形をしながら漂っていた。あまりにも呆気なく、そしてあまりにも情けない「第3期ホンダF1活動」の幕切れに、ドンヨリと曇った暗い空が、なんともお似合いな日だった。
 ホンダを出てから30分ほど地下街の喫茶店で集英社の東田君と簡単な打ち合わせを済ませ、再び地上に出てみると、外は土砂降りの雨。
 「ホラ、本田宗一郎が泣いてますよ……」
 と東田君。いささかべ夕な例えではあるが、あの日、あの時、会見に出席した多くの人があの雨を見て、彼と同じことを想ったに違いない。
  「本田宗一郎が泣いていた……」
 空から降り注ぐ大粒の涙が、青山一丁目のアスファルトを激しく叩きつけながら、路面を黒く、冷たく濡らしていた。

 それは、本当に突然の撤退宣言だった。その数日前からイギリス系のF1関連ウェブサイトではホンダ撤退のウワサが流れていたし、発表の前日、つまり、日本時間の12月4日にはそうした国外からのニュースが「断定形」の表現に変わっていた。そのため、僕にも「もしかしたら」という程度の心構えはあったが、それにしても、まさかその翌朝、本当に撤退が発表されるとは思ってもいなかった。
 朝10時過ぎ、ホンダ広報部から緊急記者会見の連絡があった時、それが「ホンダF1の訃報」だと直感的に理解したが、不思議と僕に驚きはなかった。悲しみもわいてこなかった。
 「ああ、そうか……」
 というのが、その瞬間、最初に自分の胸の奥から出てきた言葉だったと思う。あえて言えば「ホンダ撤退」の知らせに全く驚いていない自分が、唯一の驚きだったと言うべきだろうか?
 すぐに東田君に電話し、
 「どうやらホンダがF1をやめるらしいよ」
 と伝えると、淡々と身支度をして、僕は青山へと向かった。
 かれこれ、20年近くF1に関わってきた僕にとって「ホンダのF1撤退発表」は、これが2度目の経験である。前回は当時の川本信彦社長が「F1活動の休止」を宣言した1992年9月のこと。あの日も当日になって突然、ホンダから1枚のファックスが送られてきたのだった。
 当時も、ホンダのF1活動休止を「ファンヘの裏切りではないのか?」と批判的な論調で報じるメディアは存在したし、僕自身、ホンダの撤退は残念だった。しかし、1983年から92年までの「第2期F1」を通じて、ホンダは数多くの勝利とチャンピオンシップを獲得し、圧倒的な存在感を世界に示していた。その後での活動休止宣言であったため、捉え方によっては「王者の勇退」的な雰囲気があった。
 他ならぬ僕自身も、突然のホンダの活動休止を、
 「F1の世界を震え上がらせた『H』マークの巨大な力が封印された……」
 という、一種、神話的なイメージを重ねながら、受け止めた記憶がある。
 現実には当時のホンダがバブル崩壊後の経営不振に苦しんでおり、「年間100億近い予算を必要とするF1活動の継続は難しかった」というのが、ホンダが活動休止を決断した最大の理由だったはずだ。
 また、エアロダイナミクス(空力)や電子制御を中心にF1の車体技術革新が急激に進む中で、今までのようなエンジンサプライヤーでは優位を保てないと、川本社長はじめ、当時のホンダ首脳は理解していたのだろう。だからこそ自前の車体開発やチーム運営といった「深入り」を避け、「このあたりが潮時」という判断に繋がったのかもしれない。
 とはいえ、少なくとも前回の活動休止には「敗退」のイメージはなかったし、「活動休止」という表現には「またいつかF1に帰ってくる」というホンダの、そして川本社長の意思を感じることができた。
 だが、2000年のF1カムバックから9シーズンを経て、再びF1を去ろうとする今回には、重苦しい敗北感と、やり場のない怒りや空しさだけしかない。残念ながら、そこに何らかの「救い」を見出すことは難しかった。
 「私どもはこのたび、2008年をもってF1レースから撤退することを決定しました。急激かつ大幅な市場環境の悪化に対し、経営資源の効率的な再分配が必要との認識から、F1活動からの撤退を決定しました……」

 会見で用意したステートメントを読み上げる福井社長の目には、うっすらと悔し涙が浮かんでいた。しかし、その涙を見ても、自分の心が動かされることはなかった。
 撤退の直接的な理由は、アメリカのサブプライムローン問題に端を発する世界的な経済危機である。08年秋の、いわゆる「リーマン・ショック」を皮切りに、世界経済は急激に冷え込み、そこに極端な円高が重なった結果、日本の自動車メーカーは例外なく深刻な業績不振に陥った。そんな中、年間500億円近い予算を必要とするF1に参戦し続けることはできないし、F1に携わっている優秀なエンジニアたちを環境問題対応などの分野に再配置する必要がある、というのがホンダの言い分だった。
 だが、わずか1年前、フェラーリのテクニカルディレクターだった巨匠、ロス・ブラウンを新たなチーム代表として引き抜き、つい直前まで2009年シーズンを「新体制による本当の意味での再スタート」と位置づけてきたホンダの、突然のF1撤退宣言である。数千億円を費やしてきたイギリス・ブラックレーにあるF1チームの売却先も、契約更新をしたばかりのドライバー、ジェンソン・バトンも、そしてロス・ブラウン以下約700名もの現地スタッフの今後の見通しもないまま、ホンダがいわば「夜逃げ同然」の体でF1を放り出したという事実の前には、福井の語るどんな理由づけも空虚に響く。

 「ところで第3期F1活動の9年間、ホンダが一度もチャンピオン争いをできなかった最大の理由は何だと思いますか?」
 という僕の質問に福井は、
 「最大の……と言われても、正直なところわからない。我々の力が足りなかった。どうしたら勝てるのか最後までわからなかった……」
 と力なく答えるだけだった。
 それは、決してこの眼で見たくなかった、あまりにも惨めな、そしてみすぼらしいホンダF1の最期だった。
 「リーマン・ショック」という名の経済の大波に飲み込まれ、日本人の誇りも、恥も外聞も捨てたホンダのなりふり構わぬ「F1からの敗走」は、あの「H」マーグがこれまで築き上げてきた伝説と尊敬を一瞬にして吹き飛ばしてしまうほどのインパクトを持っていたように思う。
 青山の街に降り続く土砂降りの雨を見ながら、僕は改めて考えていた。足かけ10年にも及んだ「第3期ホンダF1」とは、一体何だったのか? そして、「そのホンダF1を現場で追い続けた自分の10年」とは一体何だったのか? 複雑ないくつもの想いが、まだ未整理のまま、漠然と僕のアクマの中を漂い続けていた……。(敬称略)(…この続きは本書にてどうぞ)

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